【スターコラム】チェ・ウシク、カナダから来た純粋青年“女心を掴む” ― Vol.1
新人俳優チェ・ウシクに初めて会ったとき、「いまだにこんなに純粋で無垢な青年が世の中にいるんだ」と感じた。彫刻のように整った顔立ちに明るい微笑みで韓国中の女性たちが倒れたそうだ。信じられないかもしれないが。チェ・ウシクは今年に入って映画やテレビで最高の活躍を見せている。キム・スヒョンなどと共演した映画「シークレット・ミッション」では不良の美少年に扮し、微笑を見せながらなんと700万人の観客を動員する喜びを味わった。人気ドラマ「TENリターン」ではカリスマ性溢れる熱血刑事に変身し、視聴者の愛を一身に受け、高い視聴率の達成に一役買った。このように、幼い頃、家族と共にカナダのバンクーバーに移住したチェ・ウシクは現在母国に戻り、役者として成長している。カナダ出身の純粋な若手スター、チェ・ウシクによるNAVER スターコラム初連載、読者の皆様にもきれいな空気をたっぷり吸い込んでいただければと思う。/編集者
NAVER スターコラム:チェ・ウシク在カナダ韓国人青年「ドリームハイ」で演技の夢を育む
こんにちは。チェ・ウシクです^^ 僕は今、緊張しています。僕がNAVERスターコラムを書くなんて。嬉しい一方、ものすごくプレッシャーも感じています。それでも新人として一生懸命に書きますので楽しんでください!!僕が俳優の道に入るようになったのは、3年前カナダにいたときです。もともと僕は俳優よりも演出の方に興味がありました。そのため、舞台演出を勉強していたのですが、ある日友達が「最近韓国で新人俳優を沢山募集していると聞いた。演出の勉強のため先に演技をしてみたらどうか」と勧めてくれました。
当時は本当に演技のイロハも知らない状況でしたが、その友達がインターネット新人俳優オーディションに僕の書類を送りました。「ドリームハイ」が企画され、一度中止になる前のことだと覚えています。そのときキーイーストが海外で新人を選んで「ドリームハイ」に出演させるという趣旨の番組をやりました。
僕は、1次書類審査に合格しました。まだ何も知らなかったので母に「お母さん、僕もしオーディションで選ばれたら本当に大スターになれるだろう」と浮かれていました。今考えると笑えますね^^ 僕の母も「キーイーストってペ・ヨンジュンさんの事務所なの?それなら、あなたは多分駄目だろうけど、後で後悔しないように韓国に行って一度挑戦してみなさい」と韓国に来ることを許してくれました。
無知は勇敢だと言うでしょう?(笑) このように何となくオーディションに参加したので演技をするために準備したこともなかったし、台本を読んでみろと言われて何かもらったりするとぶるぶる震えながら読みました。知っていることは何もなかったので「なぜオーディションを受けたのか」と言われると「一度やってみたかった。昔から演技に興味があった」とありきたりな回答をしました(笑)
どう考えても運が良かったと言えるでしょうか?そのオーディションで最終段階まで進み、今一緒にしているマネージャー室長と3ヶ月間練習生生活をしました。そのとき初めて習った演技がとても面白かったんです。それで、心の中で演出は後からしようと決めました。
カナダにいた友達に「韓国ではRAIN(ピ)やイ・ジュンギのように二重まぶたではない一重まぶたのスターの人気が高いから、お前も早く行ってみな」と強く勧められました(笑) 「今行かなければ後からは駄目だから早く挑戦しろ」と皆、僕のことを応援してくれましたが、オーディションに合格したのもそのおかげではないかと思います。
初めて出演した作品は、ケーブルチャンネルOCNで放送する時代劇の端役でした。韓国語も下手だったので、時代劇に出演するなんて、どうしようと思いましたが、オーディションで監督が僕の台詞を聞いて合格にしてくれました。その方が「TEN」シリーズと当時「別巡検」を演出したイ・スンヨン監督でした。
僕が「別巡検(ビョルスンゴム)」で演じたキャラクターですか?ちょうど16秒ほど登場する士大夫のキャラクターでした。監督が撮って16秒間登場するところを見て「お前は誰だ。後で必ず使うから現場に残って電話番号をくれ」とおっしゃいました。それがカメラの前に初めて立った日でした。監督に気に入っていただいたので家に帰って話すべきことが沢山ありました。母に「お母さん、僕に何かあるみたい。僕にまたやってみようと言ってくれたよ」と浮かれて話した覚えがあります(笑)
今は英語より韓国語が楽になりました
小学校5年生のとき、カナダのバンクーバーに移住しました。この前、映画「シークレット・ミッション」が終わってバンクーバーに休暇に行ってきました。今回行ったら色々な変化がありました。韓国人もより多くなりましたし。僕は大学の授業はもちろん、運転免許まで全部休止させてきたのに数年間1度も帰る機会がありませんでした。今回カナダに行ってまた感じたことは、僕がいつも韓国語ばかり喋っているから、向こうの友達が言うには僕の英語の発音が変わったようです。「お前どうしてそんなに英語ができないのか。バンクーバーで10年間暮らしただろう?」とからかわれたのでちょっと恥ずかしくなりました。少し前韓国の英語番組でインタビューをしましたが、それを友達が見たのです。
インタビュー当時は生放送のインタビュー自体にもプレッシャーを感じましたが、しかも英語でしようとしたらさらに難しく感じられました。そのとき、僕は外国に住んだ経験があるからもっと上手にやらなきゃと思ったようです。それで英語が上手に見えるようにもっとオーバーに発音したりしました。
最近試写会で2PMのニックン兄さんと会いましたが、ニックン兄さんも外国に住んでいたじゃないですか。兄さんにどこから来たのかと聞かれ、バンクーバーから来たと言いました。そしたら英語が出ました。ところが英語には敬語やため口がないじゃないですか。最初に韓国語で敬語を使ったのにいきなり英語を使えばため口で話すような感じがして、ニックン兄さんが英語で話をしたら僕は韓国語で「あ!はい」と答えるようになりました。英語で話すといきなりぶしつけになるような感じがしたんです。それでニックン兄さんとは韓国語で話しながら英語を少しずつ混ぜて会話しました。
カナダで過ごした学生時代、僕もちょっと遊びましたが……
カナダで過ごした幼少期はとても楽しく遊びました。韓国では「昔ちょっと遊んだ」と言えば高校時代にトイレでタバコを吸ったりする場面を思い浮かべるんだとどこかで聞きました。僕もカナダでよく遊びましたが、山登りや釣りに行ったり、お金が必要になれば犬を散歩させるバイトをしたりしながら遊びました。僕がバンクーバーから来たときが二十歳でしたが、韓国で社会生活をして24歳になってから、初めて戻ってみると色々と感じることが多かったです。友達とかなりギャップができたのではないかと思いましたが、まったくそんなことはありませんでした。社会生活をしていると飲み会で時間を過ごすときが多かったのですが、今回行くと友達と森の中に入って星を見ながら遊びました。川辺でビールを飲んでたき火をしながら純粋に遊んだので本当にいい休憩時間になりました。
オーディションを受けるため韓国に来たときは、韓国語がそれほど上手ではありませんでした。実は、今も発音は良くないですが、そのときはもっと悪かったです。テレビを見たら野球選手のパク・チャンホ(朴賛浩)さんが舌を丸めて発音したことで笑われたという内容が出ましたが、僕もちょっとそんな感じでした。
しかし、カナダでも韓国語を忘れたことはありません。思春期のときはアイデンティティへの悩みがありました。外国人の友達と喧嘩して「お前の国に戻れ」と言われる度に「僕は誰なのだろうか?」と沢山悩みました。
親はいつも僕に「あなたは韓国の血が流れている韓国人だから家では韓国語を使いなさい」と言いました。「使わなければ殴るよ」と言うほどでした。おそらくバンクーバーで殴られて育った子は僕しかないと思います。そのおかげなのか、いつも韓国語を忘れずにいられました。
学生時代着たことのない制服、演技しながら思う存分着てみました
学校に通うとき、ジャズバンド、オーケストラバンドの活動をしました。第2外国語として日本語も習いました。本当に色々なことを経験したわけです。自分で言うのも恥ずかしいですが、そんなことをしながら成績も悪くありませんでした。楽器はトロンボーン、サクソフォーン、スタンドアップベースをしてみました。それでさらに楽しかったと思います。色々な経験をたくさんしたから演技も向上するし、色々なタイプの人と沢山会ったのでそれを受け入れることにも役に立ちますし。韓国では昔から「男は一生に3回以上泣いては駄目」と感情を抑えることが多かったようです。しかし、カナダでは自由に自分の感情を全部表現するし、やりたいことがやれるから、そういう面で僕は枠にはまらない演技ができたと思います。
映画やドラマで制服を着ると本当に嬉しかったです。韓国で学生時代をもう一度経験しているような感じがしました。演技しながら「僕がこの制服を着てこの学校に通ったらこうなのだろうか?」と想像してみたりしました。
「黙ってファミリー」で僕が演じた役が“パンシャトル”(パンを買いに行かされる学生)でしたが、そのときが特に面白かったです。本当に高校に通っているような気がしましたし、一緒に出演する友達と集まって話したり、SISTAR ダソムのように綺麗な子と一緒に過ごしたり。そういうことがとても楽しかったです。
僕はまだ兄さんたちの傘下におります!!!
KBSシットコム(シチュエーションコメディ:一話完結で連続放映されるコメディドラマ)「黙ってファミリー」のとき、パク・ソジュン兄さんに仲良くしてもらいました。そのとき、ソジュン兄さんはバカな役を演じていましたが、今は本当に大人気です。正直羨ましくないと言えばそれは嘘でしょう?作品でほとんど主人公をしていました。兄さんが本当によくやっていて嬉しいです。かなり羨ましいですが、実は本当に親しいながらも少しはライバル構図って感じ?善意の競争のようなものがあればいいでしょう。兄さんはどうか分かりませんが、僕ももっと何かお見せできることがあればと思います。「屋根部屋のプリンス」に出演したときは、本当にJYJ ユチョン兄さんのおかげで得をしました。どれほどだったかと言いますと、海外のファンも僕のことを知るようになったほどでした。僕なんかファンが知っているわけがないでしょう?ユチョン兄さんと一緒に行ったら僕にもファンができました。そのとき僕はただ俳優の後ろに立っている子でしたが。
いきなりTwitterでも沢山のファンにフォローされましたし、撮影現場で僕たちはほとんど一緒にいたので、どこにいってもユチョン兄さんの私生ファン(サセンペン:芸能人の私生活まで追いかけるファン)たちがいました。外国人のファンまでいつも撮影現場に来ていました。トイレに行こうとすればファンがトイレにトイレットペーパーがないのを見ての車の上にトイレットペーパーを置いて行きます。そういうことがとても珍しくて羨ましかったです。
ユチョン兄さんの傘下にいたにもかかわらず、そういうことばかり見えたので虚栄心が生じたようです。それで最近僕が思うことは「初心を忘れないように」ということです。まだ始まりの段階にある僕がこんな話をするのもあれなんですが、それでも一日一日初めて演技を学んで身につけた瞬間の気持ちを忘れてはいけないと思いました。
演技はすればするほど難しいという先輩たちの話を以前は理解できませんでしたが、今は分かるような気がします。自慢せず、いつも頑張る役者になります。NAVER スターコラムの読者の皆様!僕のつまらない文章を読んでいただき、本当にありがとうございます。愛しています^^
文:チェ・ウシク
「NAVER スターコラム」は、注目の俳優やアイドル、アーティストたち本人がコラムを執筆。話題のスターが直接書いたコラムをお届けしています。- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- チェ・ウシク
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