「私の親友悪党たち」イム・サンス監督“僕が変わった理由?コンビニのバイト、ホン・サンス、大統領選挙があったから”
イム・サンスが変わった。デビュー作「ディナーの後に」(1998)以降、常に“問題作”を公開してきた彼が、肩の力を抜いて戻ってきた。
「蜜の味 ~テイスト オブ マネー~」以来、3年ぶりの復帰作である「私の親友悪党たち」(制作:FILMPASMAL)は、イム・サンスの表現を借りれば「引き込まれる、スタイリッシュなジャンル映画」だ。間違ってはいないが、100%合っている表現でもない。世の中に対する挑発的な視線は変わっておらず、独特なミジャンセン(舞台の上での登場人物の配置や役割、舞台装置、照明などの全体的な計画)も随所に残っていた。しかし、毒々しかった目つきには温かみが宿り、腕を組んで世の中を見つめていた冷笑は限りなくポジティブな反抗心に変わっていた。
「可愛くて明るい映画を作りたかったんです。完成度や完璧な構造を兼ね備えながらもスタイリッシュな、時間が経つことを忘れるほど引き込まれるジャンル映画が作りたかった。この映画は、青春ドラマです。キム・ソンス監督の『ビート』(1997)、『太陽はない』(1998)の21世紀バージョンだと思ってください。『ビート』は、ウノフイルムで撮られた映画ですが、僕もあの頃ウノフィルムで作品を準備中でした。『ビート』の撮影現場にも何回も遊びに行きましたし。30代半ばだった僕の目では、『ビート』のような青春ドラマには大きな感興が湧きませんでした。でもリュ・スンボムさんは『ビート』を見て心臓がドキドキしたと言っていました。スンボムさんは『私の親友悪党たち』で『ビート』の時に感じたときめきをまた感じたみたいです」
2坪ほどの考試院(コシウォン:各種国家試験を受ける全国の受験生たちが集まって勉強できるように作った長期宿泊施設)で暮らしながら大学を卒業し、なんとか就職したが返す借金だけで数千万ウォンに上るインターン社員ジヌと、世の中の誰の視線も気にせず自動車修理工として生きているナミは、偶然大金の入ったカバンを見つける。ここにガーナから来た移住労働者のヤクブ(サム・オチュリ)とジョンスク(リュ・ヒョンギョン)夫婦まで加わり、事件は大きくなる。普通の犯罪映画であればこの中から誰かがお金を横取りするために虎視眈々とチャンスを狙うはずだが、「私の親友悪党たち」はむしろその逆だ。ヤクブが金のカバンのせいで韓国人に人間以下に見下されると、ジヌとナミは怒って痛快な一本勝負を展開する。裏切り? 陰謀? そのようなありきたりの展開は「私の親友悪党たち」ではないと思っていい。驚くべきエンディングとサイダーのように痛快な復讐のエネルギーが観客を待っている。
「『蜜の味 ~テイスト オブ マネー~』を撮っていた当時、21世紀フォックスコリアの社長と次回作について話しました。その時言われたんです。『ハウスメイド』はすごく良かったけど、もう少しジャンル的な映画を作りましょうと。OK、良いですねと答えました。もちろんエンディングと後半の復讐シーンでは少し意見の相違がありました。中盤までのトーンやマナーからあまりにもかけ離れているのではないかということでした。シナリオは今よりも曖昧な状態でしたし。心配しないでほしい、確実に撮ってみせると説得したんです」
ふと権力、既得権層、財閥、政治批判的な映画を作ってきた彼が、50歳を超えて“青春”というテーマに視線を向けたきっかけが気になった。「いきなり変わった理由は何ですか?」という質問にイム監督は「蜜の味 ~テイスト オブ マネー~」で釜山(プサン)国際映画祭を訪れた際に自身に質問を投げかけたある観客の青年の話を聞かせてくれた。
「『蜜の味 ~テイスト オブ マネー~』で釜山国際映画祭を訪れた時の話です。GV(ゲスト・ビジット、観客との対話)の時に、ある青年がこんなことを言いました。コンビニのバイトである自分にとっては、キム・ガンウの立場がまったく理解できないということでした。あの時、『コンビニでバイトをして、頑張って勉強して大手企業に就職したとしても人生は楽ではない』と言いたかったのですが、結局口に出すことはできませんでした。そして数日後、釜山のある飲み会、多分3次会だったと思います。そこですごく酔ってしまったんですが、僕よりも酔ったホン・サンス監督が僕に言ったんです。肩の力を抜いて映画を作ってと。『ディナーの後に』はとても可愛い映画だったのに、『蜜の味 ~テイスト オブ マネー~』は映画がダサい!と(笑) そして数ヶ月後に大統領選挙がありましたね。はい、早く若者のための映画を作らないとと思いました。大統領選挙が終わってからすぐ『私の親友悪党たち』のシナリオの執筆に入りました」
絶体絶命の危機の中でもただ笑って見せるリュ・スンボムの顔から、なぜかイム・サンス監督の顔が見えた。
「スンボムさんに、とりあえずたくさん笑おうと提案しました。例えばスンボムさんが『監督、ここでどう演じればいいですか?』とアドバイスを求めてくると、『ただ笑おう』と答えました。僕もとりあえずよく笑う方なんです。ジヌもすごくよく笑う青年だと思いました」
イム監督はリュ・スンボムについて「お金から自由な韓国の数少ない俳優」と語った。俳優という安住できる垣を自ら超え、フランス・パリに渡って苦労をしていることや、恋愛のスタイルを見ても分かるのではないかという。「金!金!金!」と叫ぶ韓国の芸能界で、リュ・スンボムのように自由な魂は数少ないという。
リュ・スンボムが“DNAに俳優と書かれている部類”であるなら、コ・ジュニは自ら認めたように、生まれながらの女優ではない。女優とスタイルアイコンの範疇を行き来していたコ・ジュニは、「私の親友悪党たち」を通じてデビュー10年を経てようやく女優としての土台を整えることに成功した。
「演技力が曖昧な俳優たちは所属事務所が『イム・サンスに送れ! 演技は確実に教えて連れてくるから』と言うみたいです(笑) ジュニさんの場合も、本人に不満があったようです。『私は演技がしたいのに、なぜ毎回同じようなキャラクターしか来ないんだろう!』みたいな。そんなハングリー精神がすごく良かったです。このような俳優たちは、監督の磨きが少し入るだけでとても成長するんですよ」
劇中で終始愉快なケミストリー(俳優同士の相性)を誇っていた二人は何度もベッドシーンを披露した。もちろん、ベッドシーンも普通のベッドシーンではない。「ベッドシーンがあまりにも可愛いのでは」という記者の冗談に、イム監督は「映画全体のトーン的に可愛いベッドシーンがぴったりだった。『ハウスメイド』が奇怪でありながらもねっとりした、鳥肌までカメラに映す必要のあった淫乱な話だったとすれば、『私の親友悪党たち』は明るい映画じゃないか。それに僕はもう、ベッドシーンはたくさん撮ったから!」と答えた。さすがイム・サンスならではの答えであった。
イム・サンス監督は2年前、「蜜の味 ~テイスト オブ マネー~」でカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に進出した当時、「白人を批判する映画を作る」という爆弾発言で世界の映画界を驚かせた。一部ではイム監督が当時の発言でカンヌ国際映画祭に嫌われ、「私の親友悪党たち」がカンヌ国際映画祭に進出できなかったのではないかと懸念した。
「当時は、新自由主義だなんだということで資本主義への懐疑が膨らんでいた時でした。コンペティション部門に進出した候補作を全部見てみたら、『蜜の味 ~テイスト オブ マネー~』がなぜ招待されたのか分かるような気がしました。もちろん僕にはすごくありがたいことでしたが、わざわざカンヌ国際映画祭が求めているもの、関心のあるものに合わせて映画を作りたくはありませんでした。正直に言って、『蜜の味 ~テイスト オブ マネー~』の時はカンヌ国際映画祭での受賞が必要でした。財閥家が嫌いなことをしたんですから、賞でも取らないとということでした(一同爆笑) 『私の親友悪党たち』のカンヌ国際映画祭進出への期待が高かったのは僕も知っていました。ああ、正直に話すと、また映画を出品してカンヌ国際映画祭のテストを受けようとしたらイライラしてきたんですよ(笑) これこそが権力関係ではないかと。彼らには映画を選ぶ権力があるんです!」
イム・サンスはカンヌ国際映画祭のトロフィーと観客の愛のうち、どちらか一つを選ぶことになったら後者を選ぶと力強く語った。イム監督の父親で映画評論家の故イム・ヨンさんは「蜜の味 ~テイスト オブ マネー~」当時、監督に「映画を少し明るく作って」と慎重にアドバイスしたという。イム監督は「私の親友悪党たち」を編集しながら、常に父親の言葉を思い浮かべていた。「明るく、明るく」。そして父親の最後の一言、「サンス、奇々妙々に生きろ」。
「今の時代、若者たちが苦労をしていること、その原因は完全に既成世代にあると思います。一種の反乱や復讐劇と見ることができる映画ですが、ちょうど既成世代である僕が知らないふりをして監督だけやることはできないので、映画の序盤に登場して一番手として死ぬんです。罪悪感とも言えます。僕たち既成世代がこう育てたんです。反抗せずにシステムに服従せよと。10代や20代は生理学的に反抗が特徴なんですが、謹厳な保守主義者たちが若者たちを不動産と心理的なもので搾取し、抑圧しています。『私の親友悪党たち』は、搾取された、無気力な若者たちのための映画です」
「蜜の味 ~テイスト オブ マネー~」以来、3年ぶりの復帰作である「私の親友悪党たち」(制作:FILMPASMAL)は、イム・サンスの表現を借りれば「引き込まれる、スタイリッシュなジャンル映画」だ。間違ってはいないが、100%合っている表現でもない。世の中に対する挑発的な視線は変わっておらず、独特なミジャンセン(舞台の上での登場人物の配置や役割、舞台装置、照明などの全体的な計画)も随所に残っていた。しかし、毒々しかった目つきには温かみが宿り、腕を組んで世の中を見つめていた冷笑は限りなくポジティブな反抗心に変わっていた。
「私の親友悪党たち」…2015年版「ビート」
写真=映画「私の親友悪党たち」 スチールカット
「私の親友悪党たち」はジヌ(リュ・スンボム)とナミ(コ・ジュニ)が偶然巨額の金が入ったカバンを発見し、お金ではなく魂の威厳を守るために自ら悪党となることを決心してから展開される映画だ。「ランニングマン」「スロービデオ」に続く21世紀フォックスコリアの3作目の韓国映画投資作だ。「可愛くて明るい映画を作りたかったんです。完成度や完璧な構造を兼ね備えながらもスタイリッシュな、時間が経つことを忘れるほど引き込まれるジャンル映画が作りたかった。この映画は、青春ドラマです。キム・ソンス監督の『ビート』(1997)、『太陽はない』(1998)の21世紀バージョンだと思ってください。『ビート』は、ウノフイルムで撮られた映画ですが、僕もあの頃ウノフィルムで作品を準備中でした。『ビート』の撮影現場にも何回も遊びに行きましたし。30代半ばだった僕の目では、『ビート』のような青春ドラマには大きな感興が湧きませんでした。でもリュ・スンボムさんは『ビート』を見て心臓がドキドキしたと言っていました。スンボムさんは『私の親友悪党たち』で『ビート』の時に感じたときめきをまた感じたみたいです」
2坪ほどの考試院(コシウォン:各種国家試験を受ける全国の受験生たちが集まって勉強できるように作った長期宿泊施設)で暮らしながら大学を卒業し、なんとか就職したが返す借金だけで数千万ウォンに上るインターン社員ジヌと、世の中の誰の視線も気にせず自動車修理工として生きているナミは、偶然大金の入ったカバンを見つける。ここにガーナから来た移住労働者のヤクブ(サム・オチュリ)とジョンスク(リュ・ヒョンギョン)夫婦まで加わり、事件は大きくなる。普通の犯罪映画であればこの中から誰かがお金を横取りするために虎視眈々とチャンスを狙うはずだが、「私の親友悪党たち」はむしろその逆だ。ヤクブが金のカバンのせいで韓国人に人間以下に見下されると、ジヌとナミは怒って痛快な一本勝負を展開する。裏切り? 陰謀? そのようなありきたりの展開は「私の親友悪党たち」ではないと思っていい。驚くべきエンディングとサイダーのように痛快な復讐のエネルギーが観客を待っている。
「『蜜の味 ~テイスト オブ マネー~』を撮っていた当時、21世紀フォックスコリアの社長と次回作について話しました。その時言われたんです。『ハウスメイド』はすごく良かったけど、もう少しジャンル的な映画を作りましょうと。OK、良いですねと答えました。もちろんエンディングと後半の復讐シーンでは少し意見の相違がありました。中盤までのトーンやマナーからあまりにもかけ離れているのではないかということでした。シナリオは今よりも曖昧な状態でしたし。心配しないでほしい、確実に撮ってみせると説得したんです」
コンビニの青年、酔ったホン・サンスが発した本音…そして大統領選挙
当時にしては大胆な性に対する談話を届けた「ディナーの後に」で印象的なデビューを果たしたイム・サンス監督は、家族関係に関する批判を盛り込んだ「浮気な家族」、韓国現代史の素顔を見せた「ユゴ 大統領有故」、財閥家の恥部に触れた「ハウスメイド」「蜜の味 ~テイスト オブ マネー~」で常に世の中と妥協しない視線でクリエイティブなイシューメーカーとして忠武路(チュンムロ:韓国映画界の代名詞)に確かなカテゴリを構築してきた。ふと権力、既得権層、財閥、政治批判的な映画を作ってきた彼が、50歳を超えて“青春”というテーマに視線を向けたきっかけが気になった。「いきなり変わった理由は何ですか?」という質問にイム監督は「蜜の味 ~テイスト オブ マネー~」で釜山(プサン)国際映画祭を訪れた際に自身に質問を投げかけたある観客の青年の話を聞かせてくれた。
「『蜜の味 ~テイスト オブ マネー~』で釜山国際映画祭を訪れた時の話です。GV(ゲスト・ビジット、観客との対話)の時に、ある青年がこんなことを言いました。コンビニのバイトである自分にとっては、キム・ガンウの立場がまったく理解できないということでした。あの時、『コンビニでバイトをして、頑張って勉強して大手企業に就職したとしても人生は楽ではない』と言いたかったのですが、結局口に出すことはできませんでした。そして数日後、釜山のある飲み会、多分3次会だったと思います。そこですごく酔ってしまったんですが、僕よりも酔ったホン・サンス監督が僕に言ったんです。肩の力を抜いて映画を作ってと。『ディナーの後に』はとても可愛い映画だったのに、『蜜の味 ~テイスト オブ マネー~』は映画がダサい!と(笑) そして数ヶ月後に大統領選挙がありましたね。はい、早く若者のための映画を作らないとと思いました。大統領選挙が終わってからすぐ『私の親友悪党たち』のシナリオの執筆に入りました」
“俳優のDNA”リュ・スンボム&“ハングリー精神”コ・ジュニ…ベッドシーン?もうたくさんやったから!
写真=映画「私の親友悪党たち」 スチールカット
「私の親友悪党たち」はリュ・スンボムが「ベルリンファイル」(監督:リュ・スンワン)以来3年ぶりの復帰作として選んだことで早くから期待を集めた。“青春の記録を作るために”今回の映画に出演したというリュ・スンボムは“間抜けな上司の言葉に服従すること”を拒否するインターン社員ジヌ役を演じた。絶体絶命の危機の中でもただ笑って見せるリュ・スンボムの顔から、なぜかイム・サンス監督の顔が見えた。
「スンボムさんに、とりあえずたくさん笑おうと提案しました。例えばスンボムさんが『監督、ここでどう演じればいいですか?』とアドバイスを求めてくると、『ただ笑おう』と答えました。僕もとりあえずよく笑う方なんです。ジヌもすごくよく笑う青年だと思いました」
イム監督はリュ・スンボムについて「お金から自由な韓国の数少ない俳優」と語った。俳優という安住できる垣を自ら超え、フランス・パリに渡って苦労をしていることや、恋愛のスタイルを見ても分かるのではないかという。「金!金!金!」と叫ぶ韓国の芸能界で、リュ・スンボムのように自由な魂は数少ないという。
リュ・スンボムが“DNAに俳優と書かれている部類”であるなら、コ・ジュニは自ら認めたように、生まれながらの女優ではない。女優とスタイルアイコンの範疇を行き来していたコ・ジュニは、「私の親友悪党たち」を通じてデビュー10年を経てようやく女優としての土台を整えることに成功した。
「演技力が曖昧な俳優たちは所属事務所が『イム・サンスに送れ! 演技は確実に教えて連れてくるから』と言うみたいです(笑) ジュニさんの場合も、本人に不満があったようです。『私は演技がしたいのに、なぜ毎回同じようなキャラクターしか来ないんだろう!』みたいな。そんなハングリー精神がすごく良かったです。このような俳優たちは、監督の磨きが少し入るだけでとても成長するんですよ」
劇中で終始愉快なケミストリー(俳優同士の相性)を誇っていた二人は何度もベッドシーンを披露した。もちろん、ベッドシーンも普通のベッドシーンではない。「ベッドシーンがあまりにも可愛いのでは」という記者の冗談に、イム監督は「映画全体のトーン的に可愛いベッドシーンがぴったりだった。『ハウスメイド』が奇怪でありながらもねっとりした、鳥肌までカメラに映す必要のあった淫乱な話だったとすれば、『私の親友悪党たち』は明るい映画じゃないか。それに僕はもう、ベッドシーンはたくさん撮ったから!」と答えた。さすがイム・サンスならではの答えであった。
カンヌ国際映画祭で白人を批判する発言が議論の的に?…“これからはカンヌのトロフィーより観客の愛”
一部では「私の親友悪党たち」をめぐってイム・サンス特有の批判の刃がもろくなったのではないかと指摘する声もある。権力階層の恥部や素顔に敏感に反応してきたイム・サンスが、あまりにも明るくなったのではないかということだ。これに対してイム監督は「社会批判? 他人を批判する前に自分の役目を果たそうという気持ちで作った映画だから。『私の親友悪党たち』を見て、両手の拳を熱く握らせる、胸を一杯にするフィール(Feel)を感じたならそれでいい。まあ、社会批判は他の映画でたくさんやったじゃないか」と釈明ではない釈明をした。イム・サンス監督は2年前、「蜜の味 ~テイスト オブ マネー~」でカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に進出した当時、「白人を批判する映画を作る」という爆弾発言で世界の映画界を驚かせた。一部ではイム監督が当時の発言でカンヌ国際映画祭に嫌われ、「私の親友悪党たち」がカンヌ国際映画祭に進出できなかったのではないかと懸念した。
「当時は、新自由主義だなんだということで資本主義への懐疑が膨らんでいた時でした。コンペティション部門に進出した候補作を全部見てみたら、『蜜の味 ~テイスト オブ マネー~』がなぜ招待されたのか分かるような気がしました。もちろん僕にはすごくありがたいことでしたが、わざわざカンヌ国際映画祭が求めているもの、関心のあるものに合わせて映画を作りたくはありませんでした。正直に言って、『蜜の味 ~テイスト オブ マネー~』の時はカンヌ国際映画祭での受賞が必要でした。財閥家が嫌いなことをしたんですから、賞でも取らないとということでした(一同爆笑) 『私の親友悪党たち』のカンヌ国際映画祭進出への期待が高かったのは僕も知っていました。ああ、正直に話すと、また映画を出品してカンヌ国際映画祭のテストを受けようとしたらイライラしてきたんですよ(笑) これこそが権力関係ではないかと。彼らには映画を選ぶ権力があるんです!」
イム・サンスはカンヌ国際映画祭のトロフィーと観客の愛のうち、どちらか一つを選ぶことになったら後者を選ぶと力強く語った。イム監督の父親で映画評論家の故イム・ヨンさんは「蜜の味 ~テイスト オブ マネー~」当時、監督に「映画を少し明るく作って」と慎重にアドバイスしたという。イム監督は「私の親友悪党たち」を編集しながら、常に父親の言葉を思い浮かべていた。「明るく、明るく」。そして父親の最後の一言、「サンス、奇々妙々に生きろ」。
「今の時代、若者たちが苦労をしていること、その原因は完全に既成世代にあると思います。一種の反乱や復讐劇と見ることができる映画ですが、ちょうど既成世代である僕が知らないふりをして監督だけやることはできないので、映画の序盤に登場して一番手として死ぬんです。罪悪感とも言えます。僕たち既成世代がこう育てたんです。反抗せずにシステムに服従せよと。10代や20代は生理学的に反抗が特徴なんですが、謹厳な保守主義者たちが若者たちを不動産と心理的なもので搾取し、抑圧しています。『私の親友悪党たち』は、搾取された、無気力な若者たちのための映画です」
- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- キム・スジョン、写真 : ムン・スジ
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