2PM ジュノ「“本気”はいつでも通じると信じてる…他人の目も気にしない」
“俳優”という修飾語がこんなによく似合う“演技アイドル”がいるだろうか。2008年、2PMでデビューしたジュノの事だ。彼は2PMの活動はもちろんのこと、2013年の映画「監視者たち」の中で“リス役”で観客に存在感をしっかりと見せつけた後、お茶の間劇場とスクリーンを行き来しながら演技のスペクトラムを広げてきた。
先月30日に終了したKBS 2TV「キム課長」は、ジュノの可能性を確実に見せてくれた作品だ。ジュノは、中央地検刑事捜査部の検事だったが、TQグループパク・ヒョンド(パク・ヨンギュ) 会長のスカウトで、TQグループの財務理事に抜擢されたソユルを演じた。確実に“悪役”だと言っていた。しかし、大衆の頭の中に埋め込まれている典型的な悪役とは距離が遠かった。部下と思える者には誰よりも邪悪で、キム・ソンリョン(ナムグン・ミン) とはちょっと幼稚な気の張り合いを繰り広げた。ユン・ハギョン(ナム・サンミ) の前では母性愛を刺激し、その後パク会長の裏切りの前では凄絶だった。毎回欠かさず“モッパン”(食べる番組) を撮る姿は、可愛いくらいだった。ジュノは前例のない魅力的な悪役を完成させた。
ファンのような心でジュノに会った。彼は、演技の話を慎重に考えた後、少しずつ自分の考えを述べ、2PMのメンバーたちの話に才気のある冗談を飛ばし、心地よいインタビューが続いた。そのため、彼の口から「絶望」「傷」という言葉が出てきた時は驚きしかなかった。非常に落ち着いて淡々と打ち明けるジュノの“本音”だ。
ジュノ:やったことのない役柄に挑戦をするということ自体、十分に満足だったが、愛までもらえて大変嬉しい。監督とスタッフは、ソユルというキャラクターで僕を想像したことがなかったらしい。キャスティングディレクターが僕の名前を言ったら「ああ! ジュノ!」と喜ばれたと聞いた。
――ソユルは多彩な人物だった。演技のために参考にした作品がいる?
ジュノ:何かを参考にしたら、その魅力にハマってそれ以上の事ができなくなると思っている。歌手生活を始めた時から、そんな考えを持っている。むしろ自分のモノを作ろうと考えている。まだ演技の授業を受けたことがないが、その理由も、僕が持っているモノでどこまで演技ができるか気になるからだ。もちろん限界を経験した後に授業を受けたら、もっと成長しようと努力するだろうけれど。
――様々な姿で愛された。まず、ナムグン・ミンとのブロマンス(男同士の友情)
ジュノ:ナムグン・ミン先輩とキスを5~6回した。最初のキスの後、僕たちのブロマンスにもっと火がついた。男女カップルでもなく男男カップルだったのに、可愛がってもらえてありがたかった。ナムグン・ミン先輩とは11歳くらいの年齢差があって、先輩ってすごく童顔なので、年齢は考えもしなかった。演技をする時も気楽に対してくれた。
――モッパン(食べる番組) でも話題を集めた。「モクソ(食いしん坊+ソシオパス)」という修飾語も生まれた。
ジュノ:僕に修飾語があるというのが、ありがたかった。その言葉によってキャラクターがしっかりしたから。ソユルのモッパンは、野心と貪欲を間接的に表現したと思った。初めて見る人の前でも、気にせずガツガツ食べることができるということは、それだけ大胆な性格だということだ。もちろん、食べる演技を(放送で) 実際に見てびっくりした。僕が顎をあんなに動かすなんて知らなかった。家で食事をしながらセリフを練習したが、鏡を見はしなかった。劇を見ながら、むしろ食べ方を変えることになった。
――あんなに食べながらスーツに合うスタイルを維持するのは容易じゃなかったんじゃない?
ジュノ:スタイルより顔。顔が浮腫みやすいタイプなんだ。ドラマを初めてやった後、1~2ヶ月は運動もして、1日1食で、移動中は絶対寝なかった。死ぬかと思った。それからは徐々に緩んだ傾向にある。ガツガツ食べながら撮影した。
――“演技アイドル”という修飾語がよく似合う。歌手として、俳優として、模範的な活動を見せている。
ジュノ:歌手と演技活動の両方をしながら、自信も生まれて限りなく挑戦したい。バラエティでさえなければ頑張れる(笑) デビュー初めの頃に、バラエティでたくさん編集されてショックが大きかった。ステージ上での存在感もないのに、バラエティでもカットされるから悲惨だった思い出がよみがえる。
――2PMのメンバーたちの中で存在感がないと感じた?
ジュノ:もちろん今でも若いけど、当時はグループ内で(年齢的に) 既に遅い年齢だと思っていた。他のメンバーに比べて、僕ができることって特になかった。演技も下手だったし、バラエティも下手だった。できることはアクロバティックダンスだけだった。2012年に肩の負傷を負った。本当に絶望的だった。病院で一週間寝ていて、色んなことを考えていた。
――どう乗り越えたの?
ジュノ:病院で横になっているときに、映画「監視者たち」のオーディションを受けてみないかと提案された。退院して2日後に腕にギプスをしてオーディションに行った。体もパンパンに腫れていて、演技も明らかにできていなかった。そのような僕を信じてキャスティングしてくれた。「監視者たち」は僕の人生で“神の一手”になった。同年、日本でソロでカムバックしたツアーも行った。2012年は僕のターニングポイントだ。もともと切実な気持ちだったが、負傷してからはあくどくなった面がある。
――簡単に振り払える傷ではなかったように思える。
ジュノ:メンバーたちに“辛い”と言えず、一人で押さえていた。怪我した自分が悔しくて怒りが込みあがった。幼い頃からダンスと歌、演技が好きだった。高校も有名な演劇部があるところに志願した。そんな中、オーディションを通じてJYPに入った。練習生時代には実力が上がらず、クビになりそうになったこともある。場の雰囲気を汲み取りまくった。練習をしたくても練習室がなくて、ご飯を食べなかったり早く食べたりしていた。一回ご飯を急いで食べてたら舌を思いっきり噛んだ。血がたくさん流れて白飯が赤く変わるほどだった。それでも我慢して練習室に行った。17歳だった。その切実な気持ちがあったから、崩れずによく持ちこたえたんだと思う。
――そうして今の位置に上がった分、自らが守る信念があるんだと思う。
ジュノ:ちょっと鳥肌モノかもしれない(笑) “本気”はいつでも通じるという言葉だけを信じて生きてきた。僕は心から努力すればいつか認められると信じていた。他人の目も気にしない方だ。僕が努力をしたにもかかわらず、僕の事が嫌いなら「いつか通じるだろう」と信じて自分の仕事にもっと気を使う。過去はそんなことのせいでたくさん傷ついた。でももう傷つかないことにした。
――大変な時期にジュノの横を守ってくれたのは、やはり2PMのメンバーたちではないだろうか。
ジュノ:青春をずっと2PMとして暮らしている。そうして生きてきたし、今後とも変わらないだろう。あまりにも多くの紆余曲折を一緒に体験した。後に現実的な問題とぶつかり2PMの名前が消えても、僕たちは永遠に2PMでいようと約束した。人に会えば「こんにちは、2PMのジュノです」と挨拶するのが口癖になった。
――これから行こうとする方向はある?
ジュノ:「これぐらいできたらいいや」と思うのが嫌いだ。実際、大変だから合理化させようとするが、プライドが許さない。何でも挑戦して最後まで突き通したい。100%? そんな限界値を置こうとは思わない。無条件でもっと頑張りたい。「キム課長」を撮影しながらも、名残惜しい点が本当に多かった。キム・ミンサン先輩(イ・ガンシク役) に、自分の能力が足りなく歯痒いと言ったことがある。先輩がこんな話をしてくれた。70で始めて70で終わる俳優と、30で始めて90で終わる俳優がいる。ドラマの現場では、前者を選択するのが正しいと。それはそうだと思う。僕は自分自身を励ましながら演技した。
――全力を尽くして走っている感じだ。一体いつ休もうとしているのか。
ジュノ:休みたい時があるのに、仕事を考えると嬉しくなっちゃうんだ。チャンソンがちょっと趣味でも持ったらなんて言うけど、僕の趣味は仕事だ。暇なときは、曲を作ったり作品を見ながら練習をする。それが僕の生活になった。まだ休み時じゃない。もう少し走りたい。僕が僕を認められる時まで。
- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- チョ・ヒョンジュ、翻訳 : 前田康代
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