世界的なブームを牽引!BTS(防弾少年団)からBoAまで、ビルボードに名を連ねた6組の軌跡
写真=Big Hitエンターテインメント
K-POPの勢いに、ビルボードの壁までも崩れた。2009年、BoAが「ビルボード200」に初めて名を連ねたのが始まりだった。同年、Wonder Girlsは「Nobody」でメインチャートへの道を磨き、2012年にPSY(サイ)は馬ダンスを踊り「HOT100」で好成績を記録した。そしてついにK-POPブームの立役者であるBTS(防弾少年団)が2020年「Dynamite」でビルボード1位を獲得した。BLACKPINKとSuperMも相次いで上位にランクインした。難攻不落とも考えられていたビルボードが、もはやK-POPの舞台になっている。イギリスのビートルズやスウェーデンのABBAのように、“K-POPインヴェイジョン”の時代がやってきた。
◆BoA
2000年にデビューしたBoAはまさに、“栴檀は双葉より芳し”という言葉にふさわしかった。小さくて可愛らしいルックスから繰り出されるパワフルなパフォーマンスと爆発的な歌唱力まで。音楽業界に彗星のごとく登場したBoAは、デビュー当初から注目を集めた。韓国だけでなく、日本でもBoAは大活躍し、オリコンチャート1位まで獲得した。日韓の音楽業界を凄まじいスピードで席巻した“小さな巨人”は、アジアにとどまらず、ビルボードの城門まで開けた。2009年3月に発売したアメリカでのデビューアルバム「BoA」が、「ビルボード200」で127位にランクインしたのだ。韓国歌手がビルボードのメインチャート入りを果たしたのは、この時が初めてだった。“アジアの星”が、アメリカの音楽市場までも明るく照らした歴史的な瞬間だった。これまでBoAは辿り着けそうにない広々とした道を切り開いて進んできた。韓国でも年末の音楽授賞式で、最年少で大賞を獲得。日本の音楽業界で韓流ブームを巻き起こし、ビルボード進出まで、韓流の先鋒にはいつもBoAがいた。そうして世界を股にかけて活躍してきた少女が、いつの間にかデビュー20周年を迎えた。この先の20年は、またどのような歴史を書いていくのか、楽しみだ。
◆Wonder Girls
「Tell me」や「Nobody」で、2000年代半ばから後半に全盛期を謳歌したWonder Girls。老若男女を問わず人気を博した“国民的ガールズグループ”が、2009年のある日、韓国での活動を中断して、突然アメリカ進出を宣言した。突然のニュースに懸念の声も上がったが、Wonder Girlsは挑戦を止めなかった。アメリカに進出した彼女たちは、「Nobody」の英語バージョンをリリースして、挑戦状を叩きつけた。韓国ファンの懸念とは異なり、成績は成功的なものだった。この曲は、ビルボードチャート「TOP100」の76位にランクインする快挙を成し遂げた。アメリカの人気グループのジョナス・ブラザーズから、ツアーのオープニングステージを飾ってほしいというラブコールまで受けた。Wonder Girlsは、この機会を逃さなかった。いくつもの都市を回りながら、揺れるバスで寝て、足が棒になるまで走り回った。45回ほどの巡回公演に参加して地名度を高めたWonder Girlsは、アメリカの地上波のトークショーにも出演し、顔を知らせた。
K-POPの可能性を見せたという点で、Wonder Girlsのアメリカ進出は意味深い。BTSを世界に知らせたアメリカのポップコラムニストのジェフ・ベンジャミンは、「Wonder Girlsはアメリカ市場のフロンティアだ」と評価した。デビュー10周年を迎えた2017年、残念ながらWonder Girlsは解散したが、グループ名に込められた意味のように、依然として“世の中を驚かせたガールズグループ”と評価されている。
◆PSY
PSY(サイ)の成功は、韓国でも異例のケースだ。愛想の良さそうな顔に大胆な歌詞、がっしりとした体から生まれるコミカルなダンスまで。当時、人気を博したイケメン歌手たちと共通点はなかったにもかかわらず、彼は2001年、デビューと同時に音楽業界を魅了した。音源をリリースする度に成功を収め、彼のコンサートチケットは常に大人気だった。見たことも聞いたこともないPSYのユニークな音楽に、老若男女を問わず熱狂したが、それは韓国だけで通じるものではなかった。2012年7月に彼が発売した「江南(カンナム)スタイル」は、世界の音楽市場を騒然とさせた。テンションを上げるメロディーに、PSY流の魅力溢れる地声の歌唱法、コミカルな馬ダンスが完璧な調和をなして、世界的なシンドロームを巻き起こした。その魅力にアジア、ヨーロッパ、アメリカを問わず全世界の人々が魅了された。ブームに後押しされ、「江南スタイル」は一気に米ビルボード「HOT100」2位を獲得した。
ミュージックビデオは、YouTubeで最多「いいね」を記録して、ギネス記録に認定された。翌年には「GENTLEMAN」で、ビルボード「HOT100」5位、2014年には「HANGOVER」で26位を獲得した。最近では、K-POPスターたちの熱気に後押しされ、「江南スタイル」のミュージックビデオが再び注目を集め、再生回数は38億回を突破。K-POPのミュージックビデオの中で最も高い再生回数を更新した。PSYの神話は、まだまだ現在進行形だ。
◆BTS(防弾少年団)
始まりは56平方メートル(17坪)の練習室であった。BTSは低い場所から着実に登ってきた。狭い練習室に集まって、生き残るために死に物狂いで練習して流した「血、汗、涙」が、今のワールドスターBTSを作った。ビルボードのチャートで頭角を現してきたのは、2015年のアルバム「花様年華Part. 2」が、「ビルボード200」にランクインしてからだ。その後も毎年発売する音源が相次いでヒットを記録し、ビルボードのチャートを掌握していった。BTSの疾走は止まらなかった。アメリカの「ビルボード・ミュージック・アワード」「MTV ヨーロッパ・ミュージック・アワード」など、世界有数の授賞式を席巻した。今年初めにアメリカの年越しライブショーに参加した時には、ニューヨークのど真ん中で“韓国語のテチャン(歌に沿って一緒に歌うこと)”が鳴り響く珍しい風景も繰り広げられた。そしてついに今年8月にリリースしたデジタルシングル「Dynamite」で、ビルボード「HOT100」1位という史上初の大記録を打ち立てた。さらに、BTSがフィーチャリングした「Savage Love」のリミックスバージョンがもう一度1位を獲得して、1位と2位を席巻する大記録を打ち立てた。BTSの時代は、まだまだ続いていく。
◆BLACKPINK
人形のようなルックスは基本。ダンス、歌、トーク力まで兼ね備えた宝石を集めたら、とんでもないガールズグループが誕生した。デビューから尋常ではなかった。BLACKPINKは、2016年8月8日にデビュー。「WHISTLE」「BOOMBAYAH」をリリースし、韓国の各音楽配信チャートで1位を記録した。しかしこれは始まりに過ぎなかった。彼女たちは韓国はもちろん、世界の音楽市場で大きな反響を巻き起こした。海外進出の第一歩は日本だったが、デビューミニアルバムはオリコンデイリーCDアルバムランキングで堂々と1位を獲得した。ビルボードも凄まじいスピードで掌握した。2018年、「DDU-DU DDU-DU」が「HOT100」55位を獲得したのを皮切りに、デュア・リパ、セレーナ・ゴメス、レディー・ガガらとのコラボを通じてチャートを席巻し、“ビルボードの常連”になった。最近発売した1stフルアルバム「THE ALBUM」は、「アーティスト100」の1位を記録する快挙を成し遂げた。デビューからわずか4年で成し遂げた驚くべき成果であった。それだけではない。BLACKPINKは、“YouTubeクイーン”としても有名で、公式チャンネルの登録者数は約5300万人に達する。これは韓国の人口に当たる数値で、ジャスティン・ビーバーに続き世界2位に該当する記録である。今のペースなら、遠からずYouTube登録者数で世界トップを獲得するかもしれない。
◆SuperM
SHINeeのテミンからEXOのベクヒョン、カイ、NCTのテヨン、マーク、WayVのルーカスとテンまで、7人の“SMアベンジャーズ”が集まったSuperM。SMエンターテインメントのイ・スマン代表が自ら統括プロデュースを務めて誕生したグループだ。ベテランアイドルたちが集まったグループらしく、SuperMはデビューと同時にビルボードのメインアルバムチャートである「ビルボード200」で1位を獲得した。これは韓国歌手のデビューアルバムでは初の快挙だった。SuperMは、音源の発売の他にも、番組や公演を通じて活躍を続けた。アメリカの有名トークショー「エレンの部屋」と「ジミー・キンメル・ライブ!」などに出演して、プロフェッショナルなステージ、トークを披露。テキサスとシカゴ、ニューヨークなどの北米ツアーを通じて世界的な人気を証明した。最近は、デビュー1年にしてフルアルバム「Super One」をリリースした。大変な時期を過ごしている世界のファンたちへポジティブなメッセージを込めたアルバムである。彼らの真心が伝わったのか、「ビルボード200」で2位を記録、海外ファンから好反応を得た。完成度の高さはもちろん、ルックスと価値観にもイケメンぶりが表れているSuperM。彼らにハマらない理由がない。
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- ファン・ヨンド
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