【スターコラム】miss A スジ“告白” ― Vol.2
ガールズグループmiss Aのスジは、2011年、ドラマ「ドリームハイ」でソン・サムドン(キム・スヒョン)とチン・グク(2PM テギョン)から同時にアタックされただけでなく、昨年は映画「建築学概論」でスンミン(イ・ジェフン)の心まで奪ってしまった。その後、彼女は一瞬にして“初恋のアイコン”になった。
この全ての成果が、ガールズグループmiss Aとしてデビューしてから3年間で成し遂げたものだ。今まで、障害のない高速道路を走るかのように順調に見えたスジの、歌手デビューとドラマや映画に挑戦するまでのストーリーを、本人に直接聞いてみよう。ありのままのスジの素直な話を今、公開する。/編集
Vol.1で、はつらつとしたスジの姿を見せたとすれば、今回は雰囲気を変えて真面目な私の姿をお見せしたいと思います。多くの方々から愛されましたが、大変なこともありました。スジの告白、今から始めます。
何も知らず、デビューするという事実にただドキドキしていたあの頃が、昨日のことのように思えるが、もう3年前のことだ。「SUPER STAR K」シーズン1のオーディション会場で、JYPエンターテインメント(以下JYP)関係者にスカウトされた私は、他の練習生よりも練習期間が短く、嫉妬と羨望の対象となった。突然訪れたチャンス、練習生の友達と急に別れなければならない事実が悲しくもあった。
今考えてみると、友達にとっては私のこのような感情さえも羨ましかったり、憎く思えたかも知れない。3年という短い期間で、本当に多くのことがあった。歌手として、役者として、そしてスジという一人の人間として…今日は誰かに私の話を聞いてもらいたい日だ。
「Bad Girl, Good Girl」こうなるとは…
JYPに入った当時、今のmiss Aのメンバーたちは、近くデビューすると言われている状態だった。練習生生活を送っていたある日、そのメンバーたちと一緒にデビューすると言われた。私とは違うところにいると思っていたお姉さんたちと一緒にデビューするとは…同じグループになるとの知らせに、嬉しくて信じられなかったが、一方では心配もあった。フェイ姉さんとジア姉さんが中国から来たと聞き、どうコミュニケーションすればいいのか、上手くコミュニケーションできないのではないかと心配もした。全員普通ではない実力の持ち主だったので、その中で私がうまくやっていけるかなど、色々な考えで頭がいっぱいだった。
しかし、全ての心配は私の単純な思い込みに過ぎなかった。デビュー曲「Bad Girl, Good Girl」で世間に名を知られた私たちは、多くのファンから愛された。「Bad Girl, Good Girl」は、未だに忘れられない曲だ。ある意味ではmiss Aを、そしてスジという人物を世間に知らせた曲だからだ。
ステージで横になってパフォーマンスをするとは…当時は、歌自体を「すごい」と思うより、練習するのでやっとだったが、今になって考えてみると、かなり型破りな試みだったと思う。幸いファンの皆さんがそのような姿を評価してくれて、その後「Good-bay Baby」「Breathe」などの歌も愛されたんだと思う。
良い曲と良い事務所、そして良いファンとの出会いは、今日のmiss Aを作ってくれたと言っても過言ではないだろう。
幸せな日々を送っていた私に、更に幸せなことが起きた。2011年に私に来たドラマ「ドリームハイ」だ。
演技は「私がしっかりすれば大丈夫だろう」との思いで臨んだが…
「ドリームハイ」に出演した時は、本当に演技について何も知らない状態だった。初めての演技だったので、色々と言われたりもした。歌手…それもアイドルが演技をするということで、色眼鏡で見られるケースも多く、私自身もそれを怖がっていたと思う。初めての作品から主人公という大きな役割を任され、その負担といったら…ほとんど眠れず、寒さの中、大変な思いをしながら撮影したが、演技に関する記事とコメントが書かれるのを見るたびに、気にしないわけにはいかなかった。
もちろん「私がしっかりしていれば大丈夫だろう」との思いで頑張ろうと何度も決意を決めて気持ちを切り替えたが、一方では、記事や書き込みを一つ一つしっかりチェックするほうで、当時は「そう、そうかもしれない」と気にしないように流していた。でも、私に重いプレッシャーと傷、そしてストレスを与えることは避けられなかった。そうして自ら萎縮してしまった。
まだ、演技を楽しむとまではいかなかったが、人々から背を向けられることは本当に怖かった。初めての演技だったので体力は常に底をついた。画面の中の私を見ていると、不足した部分をたくさん発見できた。今考えてみると、本当に残念でならない。
その後、私に映画のオファーが来た。先輩たちに続き、一番最後にキャスティングされた。それもハン・ガインさんの学生時代役として。また「私の演技を見て観客が気を悪くするのではないか」との心配が先走った。今振り返ってみると、私は不要な心配をたくさんしているようだ。
「建築学概論」を撮影している当時は、疲れていても気をしっかり保ち、モニタリングしながら私の間違えたところを着実に補完した。経験が財産だという言葉はあっているようだ。時間が経った分だけ、責任感も育っていたのだ。
演技は面白く、興味深い分野だと思う。歌とは違う魅力がある。しかし、私が表現しようとすることが上手く行かない時は、それ以上にきつかった。もちろん、私が乗り越えなければならない部分だが…歌と演技、できれば両方とも手に入れたい。
「建築学概論」の成功と共に私に付けられたニックネームは、“初恋のアイコン”だった。良い作品に出会えたお陰で、そのような役を演じることができ、思いもしなかったニックネームまで貰えて、身に余る光栄だと思った。しかし、映画でのイメージがあまりにも大きくなり、私の後ろには“初恋のアイコン”というレッテルが常に貼られていた。
新しいアルバムのためにイメージチェンジは必須だが、ファンはまだ綺麗で純粋なスジの姿の方が好きなようだ。それでも、このようなニックネームを貰えるチャンスは二度とないと思うので、気分は良い。
夢と大学進学、そして恋
大学進学は、数年前からたくさん悩んでいた。他の人のように一生懸命に勉強して大学に行きたいと思いながら生きてきたわけではなかった。芸能人を夢見て、その道を歩むために努力してきたのに、大学進学の時期になると、親もそうだし、周りの知人や先輩からもよく尋ねられた。その度に、「私が大学に行って何をすべきだろう」と思った。しかし、大学に行くということを義務だとは思わなかった。私が歩んでいる道があるのに、準備もできていない状態で大学に進学して、何を得られるだろうか。ただ、芸能人として更に頑張ることで満足しながら生きたい。
もちろん、私も大学への憧れがないわけではない。校内を歩きながら、芝生の上に座って勉強したり、合コンもしてみて、友達同士の旅行や大学祭のようなことも楽しんでみたい。しかし、本当に意志があれば、後からでも道は開くのではないだろうか。
もし私が歌手にならなかったら、おそらく実力で認められるダンサーになるために努力していると思う。歌手のオファーを受ける前までは、いつも大きめのTシャツを着て、一日中汗を流しながら練習するのが日常だった。苦労と思うよりは、充実していて面白かった思い出が多く、たまにその頃が懐かしく思えたりもする。
“初恋のアイコン”と言われるうちに、ふと「私の初恋の相手は誰だったんだろう」と思った。恋愛をしたことがないわけではないが、初恋の記憶はないと思う。今になって考えてみると、幼い頃に好きだった子が初恋ではないかと思うが、好きという感情と初恋は違うのではないだろうか。それは、初恋と呼べるほどのものではなかった。
もし愛する男性に出会えたら、本当に気楽な関係になりたい。友達のように、よそよそしくない感じ。ぶっきらぼうでも面白く、面倒見の良い人が好きだ。私がぶっきらぼうであまり表現をしない方なので、お互いそうだと傷つきそうだから。ぶっきらぼうでも、それとなく表現してくれる男性はいないだろうか。
私も20歳になった。20代のスジ、30代のスジも、今と大して違わず、自身を駆り立てながら忙しい生活を送っているだろう。そうして忙しい日常の中で、私が求めるものを一つずつ成し遂げながら成長して行きたい。
ある意味では私に与えられた、身に余る“初恋のアイコン”というニックネームと別れたくないのかもしれない。また、時間が経てば自然に忘れられると知っていながらも…。
今のように一生懸命に努力すれば、初恋を乗り越えて“国民のアイコン”と呼ばれる日がきっと来るだろう。“国民”とまではいかなくても、人々の記憶に長く残り続けるスジ、そしてmiss Aになりたい。今日の私を作ってくれたのは他でもなく、miss Aだから。
今まで“スジ”の“独り言”を聞いてくださった皆さん、本当にありがとうございます。これからも見守ってくれますよね?^^
文:miss A スジ
「NAVER スターコラム」は、注目の俳優やアイドル、アーティストたち本人がコラムを執筆。話題のスターが直接書いたコラムをお届けしています。- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- Kstyle編集部、編集 : ファン·ヨンヒ(イシューデイリー局長)、写真 : JYPエンターテインメント、イシューデイリー
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