「清潭洞アリス」「会いたい」などドラマで見せる“恋愛至上主義”…さまざまな恋のカタチ
※この記事にはドラマ「ドラマの帝王」の結末に関する内容が含まれています。
「ファントム」や「ゴールデンタイム」または「ゆれながら咲く花」のように、恋物語が最初から排除されたドラマがたまに出たりもするが、恋愛至上主義ではなくても、難関を乗り越え結ばれる男女の恋物語は、視聴者のファンタジーをくすぐり、ドラマに集中させる力がある。最近のドラマから見られる恋のパターンを分類してみた。
しかし、このドラマはご存知のように“エディプスコンプレックス”が目立つドラマだ。父チャ・イルナム(ハン・ジニ)とチャ・スンジョの関係があまり良好でないからである。最近の放送では、ハン・セギョン(ムン・グニョン)を通じて父と息子の確執が収まる傾向にはあるが、ソ・ユンジュがチャ・スンジョと付き合っていた頃は父と息子の関係が冷えている時だった。
ブルジョワでないソ・ユンジュを婚約者にするには、父が心を閉じていた頃なので、チャ・スンジョは大きな決断をする。エドワード8世がシンプソン夫人との恋のために王冠を諦めたように、チャ・スンジョはブルジョワとしての権利を放棄する。ソ・ユンジュとの恋のために。
しかし、チャ・スンジョの決断の後に残ったのは、ソ・ユンジュとの恋ではない。ソ・ユンジュの裏切りだ。ソ・ユンジュが愛したのは、チャ・スンジョの財力であって、チャ・スンジョという人間やその人格ではなかった。結局ソ・ユンジュはシン・ミニョク(キム・スンス)と結婚する。しかし彼女はシン・ミニョクを愛したのではなく、シン・ミニョクの財力を愛したことになる。ソ・ユンジュは“愛する男性”を選択する女性ではなく、“お金”と恋に落ちた女性だ。
この中で心を痛める人はスクフィ姫(キム・ソウン)だ。スクフィ姫はドラマの初めから、自身が身分の低い人を愛してはいけない高い身分であることを自覚しているにもかかわらず、ペク・クァンヒョンへの片思いで恋焦がれる。これは「いとしのソヨン」でイ・サンウ(パク・ヘジン)に想いを寄せるも、その気持ちを受け取ってくれないイ・サンウの冷たさに心を焦がしていたチェ・ホジョン(チェ・ユニョン)の片思いと同じだ。スクフィ姫の片思いも身分を乗り超えた恋だ。
「いとしのソヨン」のカン・ウジェ(イ・サンユン)は、妻が自身を騙した事実を知ってからも、彼女を理解し、愛し続けていくために努力する恋を見せる。イ・ソヨン(イ・ボヨン)は父親が生きているにもかかわらず、父が他界したと騙し、カン・ウジェと結婚する。しかし結婚3年目にしてカン・ウジェは妻の父が生きていることを知る。
最初は妻が自身を騙した事実に怒り、イ・ソヨンとの離婚を考える。しかし、妻が自身に真実を隠したにもかかわらず、妻の嘘に知らないふりをして、結婚生活を続けることを決心する。妻が真実を自ら告白するまで待つことを決心するカン・ウジェの恋は、妻が自身を騙したにもかかわらず、相手の弱点も包み込むという意志の表現だ。
先日最終回を迎えた「ドラマの帝王」も恋愛至上主義を見せるドラマだ。このドラマは1本のドラマを作るために、数多くの見えない努力と情熱が必要だということを見せるドラマであり、と同時に相手の条件にこだわらない恋が何かを見せてくれた。イ・ゴウン(チョン・リョウォン)が愛するアンソニー・キム(キム・ミョンミン)は、視力を徐々に失うレーベル病を患う。
最終回でアンソニー・キムは、視力回復治療のために出国しようとしたが、ドラマ現場での不意の事故の知らせを聞き、その収拾のために出国の飛行機を逃し、結局は視力を失う。愛する人が視力を失うと、生涯一緒に生きていく人の立場としては、色々と手間がかかることが多い。それにもかかわらず、イ・ゴウンはアンソニー・キムを捨てず、彼の隣に残り腕を組む。「清潭洞アリス」のソ・ユンジュには想像も出来ない愛だ。
「馬医」のスクフィ姫、「いとしのソヨン」のカン・ウジェ、「ドラマの帝王」のイ・ゴウンは、愛する人の身分や、嘘、視覚障害という弱点も包み込む恋愛至上主義を見せるキャラクターだ。
ハン・ジョンウだけでなく、ハン・ジョンウの父ハン・テジュン(ハン・ジニ)は、生きているイ・スヨンを死んだ人間にしてしまう。ここまで来れば、ハン・ジョンウは幼なじみというよりは、みっともない男性だ。愛する人ではなく、14年前のことを理由に復讐をしても怒りが収まらないほどだ。それにもかかわらず、イ・スヨンはハン・ジョンウの心を受け入れる。
悲惨な過去に囚われず、自身に苦痛を与えた加害者の息子と恋するイ・スヨンの胸の詰まる恋は、“復讐”だけがベストアンサーではないことを物語っている。復讐が溢れていた昨年のドラマのトレンドに逆らうイ・スヨンの恋が、視聴者に胸の詰まる恋として受け入れられるのは、この理由からだ。
真っ黒なしこりとなったトラウマを癒すのは、必ずしも“復讐”が正解ではなく、むしろ“恋”だということを「会いたい」は見せてくれている。最近のドラマでは、“テンジャンニョ”スタイルの恋から、またそれとは正反対の復讐の代わりに恋を選択した女性の恋まで、さまざまな恋のカタチが放送されている。
最近のドラマで見られる恋のタイプを分析
ロマンスドラマというジャンルでもっとも好まれる恋のタイプは“シンデレラストーリー”だ。二枚目で、実力と財力を備え持つ男性が、たった一人の女性に一途な想いを寄せるというストーリーは、女性視聴者を虜にするのに十分だ。「ファントム」や「ゴールデンタイム」または「ゆれながら咲く花」のように、恋物語が最初から排除されたドラマがたまに出たりもするが、恋愛至上主義ではなくても、難関を乗り越え結ばれる男女の恋物語は、視聴者のファンタジーをくすぐり、ドラマに集中させる力がある。最近のドラマから見られる恋のパターンを分類してみた。
写真=SBS
条件を見て恋をする“テンジャンニョ”の恋…「清潭洞アリス」
「清潭洞(チョンダムドン)アリス」の奥様ソ・ユンジュ(ソ・イヒョン)が見せる恋は、典型的な“テンジャンニョ”(自分の力ではなく、男に頼って生きていこうとする見栄っ張りな女性のこと)の恋が何かを視聴者に見せる。玉の輿に乗る以前のソ・ユンジュは、留学時代、チャ・スンジョ(パク・シフ)と恋人同士だった。しかし、このドラマはご存知のように“エディプスコンプレックス”が目立つドラマだ。父チャ・イルナム(ハン・ジニ)とチャ・スンジョの関係があまり良好でないからである。最近の放送では、ハン・セギョン(ムン・グニョン)を通じて父と息子の確執が収まる傾向にはあるが、ソ・ユンジュがチャ・スンジョと付き合っていた頃は父と息子の関係が冷えている時だった。
ブルジョワでないソ・ユンジュを婚約者にするには、父が心を閉じていた頃なので、チャ・スンジョは大きな決断をする。エドワード8世がシンプソン夫人との恋のために王冠を諦めたように、チャ・スンジョはブルジョワとしての権利を放棄する。ソ・ユンジュとの恋のために。
しかし、チャ・スンジョの決断の後に残ったのは、ソ・ユンジュとの恋ではない。ソ・ユンジュの裏切りだ。ソ・ユンジュが愛したのは、チャ・スンジョの財力であって、チャ・スンジョという人間やその人格ではなかった。結局ソ・ユンジュはシン・ミニョク(キム・スンス)と結婚する。しかし彼女はシン・ミニョクを愛したのではなく、シン・ミニョクの財力を愛したことになる。ソ・ユンジュは“愛する男性”を選択する女性ではなく、“お金”と恋に落ちた女性だ。
写真=MBC
エドワード8世とシンプソン夫人の恋のような“身分を超えた”恋…「馬医」
「馬医」は時代劇だ。時代劇には当然身分が存在する。それにもかかわらず「馬医」は人と人の間の序列を決める階級においても、やはり愛し合うことが出来ない事実を見せるドラマだ。身分が変わり、男性は身分の低い者に、女性は身分の高い者になるという運命の悪戯の中で、2人の男女ペク・クァンヒョン(チョ・スンウ)とカン・ジニョン(イ・ヨウォン)は、身分を乗り越えた切ない恋を見せる。この中で心を痛める人はスクフィ姫(キム・ソウン)だ。スクフィ姫はドラマの初めから、自身が身分の低い人を愛してはいけない高い身分であることを自覚しているにもかかわらず、ペク・クァンヒョンへの片思いで恋焦がれる。これは「いとしのソヨン」でイ・サンウ(パク・ヘジン)に想いを寄せるも、その気持ちを受け取ってくれないイ・サンウの冷たさに心を焦がしていたチェ・ホジョン(チェ・ユニョン)の片思いと同じだ。スクフィ姫の片思いも身分を乗り超えた恋だ。
写真=KBS
“にもかかわらず”スタイルの恋…「いとしのソヨン」「ドラマの帝王」
ドラマで恋愛至上主義を完成するのは“にもかかわらず”スタイルの恋だ。身分が低かったり、条件が良くない恋の対象を、ソ・ユンジュのように見放さず、包み込んで恋するタイプだ。このようなタイプの恋こそ、視聴者の恋へのファンタジーを満たす。「いとしのソヨン」のカン・ウジェ(イ・サンユン)は、妻が自身を騙した事実を知ってからも、彼女を理解し、愛し続けていくために努力する恋を見せる。イ・ソヨン(イ・ボヨン)は父親が生きているにもかかわらず、父が他界したと騙し、カン・ウジェと結婚する。しかし結婚3年目にしてカン・ウジェは妻の父が生きていることを知る。
最初は妻が自身を騙した事実に怒り、イ・ソヨンとの離婚を考える。しかし、妻が自身に真実を隠したにもかかわらず、妻の嘘に知らないふりをして、結婚生活を続けることを決心する。妻が真実を自ら告白するまで待つことを決心するカン・ウジェの恋は、妻が自身を騙したにもかかわらず、相手の弱点も包み込むという意志の表現だ。
先日最終回を迎えた「ドラマの帝王」も恋愛至上主義を見せるドラマだ。このドラマは1本のドラマを作るために、数多くの見えない努力と情熱が必要だということを見せるドラマであり、と同時に相手の条件にこだわらない恋が何かを見せてくれた。イ・ゴウン(チョン・リョウォン)が愛するアンソニー・キム(キム・ミョンミン)は、視力を徐々に失うレーベル病を患う。
最終回でアンソニー・キムは、視力回復治療のために出国しようとしたが、ドラマ現場での不意の事故の知らせを聞き、その収拾のために出国の飛行機を逃し、結局は視力を失う。愛する人が視力を失うと、生涯一緒に生きていく人の立場としては、色々と手間がかかることが多い。それにもかかわらず、イ・ゴウンはアンソニー・キムを捨てず、彼の隣に残り腕を組む。「清潭洞アリス」のソ・ユンジュには想像も出来ない愛だ。
「馬医」のスクフィ姫、「いとしのソヨン」のカン・ウジェ、「ドラマの帝王」のイ・ゴウンは、愛する人の身分や、嘘、視覚障害という弱点も包み込む恋愛至上主義を見せるキャラクターだ。
写真=MBC
みっともない人でも愛したい“胸の詰まる”恋…「会いたい」
“にもかかわらず”スタイルで最高の恋は「会いたい」のイ・スヨン(ユン・ウネ)だ。事実だけで見るとイ・スヨンはハン・ジョンウ(JYJ ユチョン)を、恋人ではなく、みっともない人だと思うべきだ。ハン・ジョンウを助けようとして危険な目に遭った若い女性を残し、1人で逃げた男性がハン・ジョンウではないか。ハン・ジョンウだけでなく、ハン・ジョンウの父ハン・テジュン(ハン・ジニ)は、生きているイ・スヨンを死んだ人間にしてしまう。ここまで来れば、ハン・ジョンウは幼なじみというよりは、みっともない男性だ。愛する人ではなく、14年前のことを理由に復讐をしても怒りが収まらないほどだ。それにもかかわらず、イ・スヨンはハン・ジョンウの心を受け入れる。
悲惨な過去に囚われず、自身に苦痛を与えた加害者の息子と恋するイ・スヨンの胸の詰まる恋は、“復讐”だけがベストアンサーではないことを物語っている。復讐が溢れていた昨年のドラマのトレンドに逆らうイ・スヨンの恋が、視聴者に胸の詰まる恋として受け入れられるのは、この理由からだ。
真っ黒なしこりとなったトラウマを癒すのは、必ずしも“復讐”が正解ではなく、むしろ“恋”だということを「会いたい」は見せてくれている。最近のドラマでは、“テンジャンニョ”スタイルの恋から、またそれとは正反対の復讐の代わりに恋を選択した女性の恋まで、さまざまな恋のカタチが放送されている。
- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- パク・ジョンファン
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